穏やかな空

1.帰り道

彼の視線の先を見てみると、薄い薄い青空にぼんやりと真っ白な月が浮かんでいた。
見事なくらい空に溶け込んでいるそれに少し見入る。
隣の彼も相変わらず視線は月に固定されており、はたから見ればなかなかに風変わりな二人組だっただろう。
が、彼もわたしもそんなことを気にするような性質ではなかった。

「帰り道に出てる月って妙に気にならない?」
彼、桐島誉がわたしのほうに視線を向けながら、独り言のようにぽつんと言った。
「どんなふうに?」
それに対し、わたしはやや細めの目を誉に向けながらゆっくりした調子で聞き返した。
「なんかこう、惹かれるというか。不思議な存在だなーって」
誉はわたしほどゆっくりではないが、他の人に比べればやや遅め、一定のトーンで話す。
めったなことでそのトーンは変わることがなく、わたしはそれがとても気に入っていた。
「確かに、ちょっと神秘的な感じがする。でもなんで今見えてるんだろ。もしかしたらわたしたちが気づかないだけでずっと空にのぼってるものなのかなあ」
「・・・どうだろう」
それきり会話は止み、どちらからともなく手をつなぎ歩いた。二人とも割と無口なので、これがいわば日常である。
一言二言話しては黙り、しばらくたてばまたどちらかが話し始める。

踏み切りを渡りきるといつも少しゆっくり歩く。次の曲がり角で別れることになるのだ。
だが、その地点に到着してしまえば、別れを惜しんで立ち止まるということなく、二人ともあっさりした調子で「また明日」とそれぞれの道を歩き始める。
それはわたしたちの直接交わしたわけではないが、重要な約束事だった。
今日も例外なく、ペースを落とした。

民家の庭の梅の木に花が咲いている。
「あとどれくらい、こうやって帰れるんだろうな」
花に目をやりながら誉が口にする。
「もうほんの少しだよ。明日からテストで終わったら休み。あと登校日が2日と予行と卒業式」
自分でも驚くほどに声に寂しさが混じっていた。ほんの少し途方にくれて、先ほどの月を探したが、もう見当たらなかった。
「神奈川って遠いよな」
「うん。電車で3時間かかるもの」
わたしは神奈川の大学に進学を決めていた。とても家から通える距離ではなく、3月、そちらで一人暮らしを始めることになっている。

「いつか、さ。一緒に帰れるといいな。できたらおんなじ家に」
「え?!」
小さな声だったが、確かに聞こえた。驚いて誉のほうに向きなおる。
「じゃあ、明日!」
ちょうど、角に到着し、いつになく早口で言うと、彼は走って行ってしまった。
(おんなじ家に)
今更心臓の音がうるさい。口を両手で押さえながら、どんどん遠くなっていく彼の背中を呆然と眺めた。